こんにちは、ゆずこです。
2018年の箱根駅伝は青山学院大学が逆転4連覇という形で幕を閉じました。
そんな中、30歳にして大学1年生として箱根駅伝を走ったランナーがいたことをご存じでしょうか?
7区を走った東京国際大学の渡辺和也さんです。
オールドルーキーと言われています。
この渡辺和也さん、実は北京五輪の選考大会で優勝目前にゴール前で転倒して、五輪への切符を逃してしまっていた方なのです。
なぜ今、30歳にして箱根駅伝を走ったのか?理由や経緯を調べてみると、そこには波乱万丈の陸上人生がありました。
そのことについてご紹介したいと思います。
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渡辺和也さんの経歴
東京国際大、30歳の渡辺和也が箱根予選会に出場 https://t.co/kGS1HnJnOk #スポーツ新聞 pic.twitter.com/OdiE5sYAOV
— スポーツ報知 (@SportsHochi) 2017年9月30日
プロフィール
- 生年月日:1987年7月7日(30歳)
- 身長172cm 体重55kg
- 出身地:兵庫県 西宮市
- 出身校:報徳学園
- 家族構成:両親、兄
- 未婚
実業団歴
山陽特殊製鋼→四国電力→日清食品グループ
記録
- 2008年 1500mで日本歴代2位(3分38秒11)
- 2011年 日本陸上競技選手権大会5000mで優勝
- 2011年9月 世界陸上競技選手権大邱大会5000m代表
2018年箱根駅伝の結果
渡辺和也さんは当日のエントリー変更で7区を任されることになりました。
結果は7区7位。東京国際大学は17位の結果に終わりました。
渡辺さんは、
「力をためすぎてしまった」「まだまだ自分の力の半分も戻しきれていない。来年以降は区間賞を目指さなければいけない」と反省されてました。
でも「歴史ある箱根を走れてすごく楽しかった」とも言っています。
シード権は獲得できなかったので、来年の箱根駅伝の出場には予選会から勝ち上がらなくてはなりません。
ですが、渡辺さんはツイッターで「これからのチームです」と言っています。
創部7年目の新興校。これからの活躍に期待ですね。
北京五輪に出ていたかも??
調べてみると渡辺さんは2008年の北京五輪選考会のレース、日本選手権1500mで後一歩というところで、五輪の切符を逃しているのです。
このレースで渡辺さんは、残り200mでスパートをかけ、断トツで最後の直線に入り、残り10mのところでなんと転倒してしまったのです。
結果は8位。
転ばなければ、北京五輪の切符は手に入れていたはずです。
ゴール直前での転倒、しかもそれが五輪選考レースだなんて、神様って残酷だなって思ってしまいます。。。
その後の渡辺さんは、2012年のロンドン五輪選考レースではケガでスタートラインに立てず、16年のリオ五輪では選考レースの日本選手権の参加資格すら得られませんでした。
そして、2016年に日清食品を事実上戦力外とされてしまいます。。。
ここまできたら、普通なら引退という文字が出てきそうではありますが、渡辺さんは諦めず新たな道に進みます。
なぜ大学に進学をして箱根駅伝を走ったのか?
元々指導者になりたかったという渡辺さん。
指導者になるなら、箱根駅伝を経験することはプラスになると思って進学を考えたそうです。
高校卒業後、大学には進学せず実業団に入ったので、箱根駅伝は未経験でした。
30歳にして箱根を走ろうと思った理由はそういうことだったんですね。
「現在は、高校の体育教員免許取得を目指していますが、大学でも実業団でも指導に携われれば」とのこと。
挫折を経験して悔しい思いを抱えながらも頑張っている渡辺さんの経験は、絶対に指導者としてプラスとなりますよね。
ですが競技者として、もう一度日の丸の付けて走るという目標も諦めていないそうです。
2020年の東京五輪に渡辺さんが出場したら、絶対に応援に行きます!
最後に
ニュースを見て、30歳にしてどうして箱根駅伝を走っているのだろうと疑問に思い、渡辺和也さんのことについて調べてみました。
紆余曲折の渡辺さんの人生から、大切なことを学ぶことができました。
それは、
「人生は何歳からでも挑戦できる」
何かを始めるのに遅すぎるということはないんですね。
成功の価値観って人それぞれで、傍からみたら挫折だらけかもしれないけれど、人生経験の価値からしたら成功と言える場合もあるのではないでしょうか。
自分の気持ち次第なんですよね。
チームメイトにも慕われていて、謙虚で明るいキャラクターの渡辺さん。
これからの活躍を心からお祈りしています!
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